猛牛維持ふにゃふにゃ日記



序章 おれはカウンタック・オーナーだ!
おれはカウンタック・オーナーだ!
でも決して成金でもなければ、危ないことをやっている人でもない。顔は怖いと言われるが、少ない税金もきちんとむしり盗られてるいたってフツーの小市民だ(と思う)。ただあえて誇れるものがあるとすれば、多くのスーパーカー・オーナーがそうであるように、子供の頃の夢と情熱と強い意志とを、雨にも負けず風にも負けず、社会や周りの雑音にも負けないで大人になっても持ち続けたということだけだ。その結果がカウンタックというだけだ。でもこれがちょびっと大変だったりもする。
これは、フツーの小市民がカウンタックなるものを買ういきさつと買った後での生活を徒然なるままに書きなぐったふにゃふにゃのとりとめもないエッセーですので、お暇な方とか活字中毒の方は、屁でもこきながら読んでくだされば身に余る光栄です。
プゥ〜。

第1章 出会い
1978年8月、10歳のおませさんな私は、ベイシティーローラーズを聴きながらコーラを片手に、家の前の海でタツノオトシゴをつかまえたりして、小3の夏休みを小粋に過ごしておった。そんな私を襲った衝撃、そう、70年代後半に日本中に吹き荒れたスーパーカー・ブーム。現在30代の人ならあのブームの凄さを知ってるでしょうが、私もあのブームの衝撃をじかに受けてしまったのねん。その中でもランボルギーニ・カウンタック。この車こそがブームの主人公だった。でも当時はあまりのカウンタック人気に食傷気味で、個人的には二大横綱だったフェラーリ365BBの方が好きだった。でもやはりカウンタックの方がカリスマ性とか存在感っていうのかな、フェラーリとは段違いだってのは心のどこかに持ってた。その証拠が瓶のコカ・コーラ。 当時、ブームに乗っかってコカ・コーラの瓶の裏ブタには、ねずみ色した薄いビニールの膜をはがすとスーパーカーの絵が描いてあって、やまぶき色したカウンタックLP400の後ろ姿が出れば当たり、365BBが出れば二等みたいな、自分の中で勝手にそんなルールを作ってた。でも出るのはロータス・ヨーロッパばかり。ものすごいはずれの気分だったのを覚えてる。この時の衝撃がトラウマとして私の心に深く棲みついて約20年後に再発するなんて、まだな〜んにも知らなかった平和なあの頃。。。

第2章 再会
そんなこんなでブームも去り、時は流れ。。。1987年、おませさんな私は大学生となり、花の都東京にいた。その時英語の勉強のために買った『PENTHOUSE』なるステキなアメリカの雑誌、キレ〜なおねーさま方が沢山出てらっしゃるその横で、そのキレ〜なおねーさま方よりも更に目立つ超ド級の美人の特集に目が釘付けとなった。その美人の名前はLAMBORGHINI COUNTACH LP5000 QUATTRO VALVOLE。 純白ボディに純白シート。そう、何もかもがまっしろしろのカウンタックが、そこにはいらっしゃったのであ〜る。
「あれ〜、カウンタックってまだいたのね〜。」
子供の時に見たのは黄色か赤と相場が決まっておった。でも目の前にいらっしゃるのはまっしろしろ。
何だこれ?
白のカウンタックって、なんて恐れ多くて悪そうで、なのになんて高貴で上品なんだ。
うおおお〜っ。
その瞬間、私は確かに女神を見た。そして忘れていた熱い何かが心の中に蘇るのを感じた。でもわずか18歳の若造にとっては、この時もやはり別世界の手の届かない女神様という高貴な存在でしかなかった。時はバブル真っ只中。その真っ白な女神様には7500万円というプライスタグが下がっておった。
ななせんごひゃくまんえん?
それいくらでしゅか?現実離れしすぎてなんだかよくわからんですたい。
女神様は遠い雲の上にいらっしゃった。バイトと日々の生活に追われる身には、バブルの喧騒も女神様の存在も再び忘却の彼方へと消えていったのであ〜る。

第3章 どん底
それから10年、28歳となったおませさんな私は、大学院生となり、日夜研究にいそしんでおった。学会に論文を投稿しては落とされ続ける毎日。でも何とか論文採用されて研究業績作らないと将来はないし、かといって就職のあてはないし、年収は200万くらいしかないのに土日は自腹切って日本全国東奔西走して学会参加で飛び回って休みはないし、人間関係は物凄く狭くて大変だし。『白い巨塔』の柳原を地で行くようなキャラだったわけさ。試しに1日8時間働いた後で朝の4時頃まで10時間研究という生活を10年間続けてごらん。そしたら確実に身体壊すから。で、治療薬のステロイド剤の副作用で顔も体もパンパンに膨れるし、空手で鍛えた筋肉は落ちるし、そらもう惨めのなんのって。
でもこれはあくまで研究で身を立てるための苦労で、生きるため食うための苦労ではないのねん。生きるため食うための苦労は、その後いやでもやることになるんだが。。。
そうしてるとね、世の中でこんなに不幸なのは自分独りだけなんじゃないかって、物凄い孤独感と不安感に襲われるようになる。
そんな中で、唯一自分の存在を確かめられてちょびっと幸福を感じられるのは、店の自動ドアだけ。自分のために自動ドアが開くのを見て初めて「あ〜オレは間違いなくこの世に存在してるんだ」って客観的に自覚できるんだわさ。 そんなこんなで、ま〜、週末にデートなど普通の若者が過ごすようなチャラけた生活にはとんと無縁で、今思い返しても本当に物凄い毎日を送っておった。しかもこの時は田舎の親父が骨髄性急性白血病を発症して死の淵をさまよったり、台風で実家の酒屋は半壊したり、生きるため食っていくための苦労をそらもうイヤというほど味わい、どん底の更に底でもがき苦しんでた。筆舌に尽しがたい苦労なので、ここでは書けない。
結果、親父の病気治療代や何やかんやで、28歳の若造は、中古のフェラーリ512TRが買える金額を支払ったのであ〜る(涙)。酒、タバコ、女、ギャンブルはおろか、旅行や買い物さえもしないで、家賃3万円の6畳風呂なしアパートに13年住んで必死に貯めた金だったのに。。。そん時の生活は物凄かったぜい。移動も交通費浮かすために親戚からもらった捨てる手前の10年オチのサイクリング自転車。これで仕事先と大学を1日往復40キロ移動してた。すると警官には盗難車だと思われ、いつも職務質問されちまう。でもね、そんな生活してれば自然と金貯まるって。1ヶ月に10万貯めれれば1年で120万、10年で1200万貯まるんだぜ。でもそれが殆どぜ〜んぶ親父の治療代やらなんやらで持ってかれた日にゃあ、同じような経験した奴じゃなきゃ、この気持ちは分かんねぇだろうなぁ。
でも、心にはいつもカウンタック。つらい事があると不思議と思い出す魔法の言葉。いつかきっと買ってやる。自分へのご褒美に絶対買ってやる。その思いを胸にがむしゃらにがんばった。スーパーな人生を送るスーパーな男に見合うスーパーな車は、この世にあれしかない。
そう、ランボルギーニ・カウンタック。
ああ、なんて甘美な響き。それは子供の頃に見た甘くはかない夏の夢。あるいはつらすぎる現実に心が悲鳴をあげて、幼児後退してるだけかも。。。でも現実の生活はジリ貧の一途で、ずぇんずぇんスーパーじゃなかったなぁ。

第4章 運命
そうして2年が過ぎ、ある時インターネットで豊田さんなる同年代のカウンタック購入記に出逢う。そう、私のHPもリンクを張らしてもらってる、カウンタック維持HP(http://countach.fc2web.com/)のことだべし。そして豊田さん御本人にも会い、豊田さんの白白アニバも見せてもらい、なんと助手席にも乗せてもらった。初めて乗った感想は、カウンタックは何から何まで自分にピッタリの車だという確信だったわけさ。そして、運命はいよいよオレをカウンタックとの出逢いに導いていく。時を同じくして、ヤフオクを通じて天草の悪魔ましゃんと出逢う。


↑こやつが地獄への水先案内人ましゃん。

天草はわしの領土(シマ)やんけ。金銭関係で両親と色々あったから、6年ほど帰ってないけど。。。
話を聞けば、ましゃんは猛牛(ランボルギーニ)と跳ね馬(フェラーリ)を飼っており、静かな天草の道を我が者顔でブイブイいわしてるそうではないか。 悪人に相応しく、乗ってる車も黄色いオンボロギーニ悪魔SVとフェラ512TRとベンツとBMWとその他国産諸々。
これは成敗せねば、と思ってた矢先、GWのとある晴れた吉日、ましゃんがオンボロギーニ悪魔SVをオンボロギーニ悪魔特別版に買い換えるため、東京のPという店にやってくることになった。わしはその日、銀座の福屋書店で矢田亜希子様の写真集出版記念のサイン&握手会があったのだが、正義のために泣く泣くブッチし、Pにましゃん成敗に出かけたのである。この時握手会に行ってれば、それが出会いとなって今頃は矢田様とオレ様の結婚記者会見が行われてたはずなのに、ましゃんよ、二人の出会いを引き裂いた落とし前、どうしてくれる。


ましゃんの悪魔特別版。

悪魔の集会。

聞けばましゃんは私と同い年(なのに4人も子供がいるとな。がんばり屋さんじゃのう)で、名前も境遇も似た薄幸のブ青年であることが判明し、しかもその日は仕事で東京に行くと嫁に嘘をついて出てきたそうな。こんなこと1度や2度ではないそうで、それがバレたら嫁から離婚の最終通告を渡されるとビクついておった。
ナミコ(ましゃんのブサ嫁)よ、早くこのページに気付け!!
ましゃんから離婚の慰謝料10億ふんだくって、二人で山分けしようぜい!
カアイソウなナミコの気持ちを汲んだオレは、ナミコに代わって成敗すべく、ましゃんの悪魔特別版に乗り込み、クラッチ切ったりギヤを入れたりと色々イジくりまわして、秘技3年殺しを食らわしてやった。


3年殺しを食らわしてるところ

セイヤッ!

復讐はすんだ

おかげでましゃんの悪魔特別版は、3年経たないうちによく壊れてくれて、その度にランボ福岡は修理代がっぽりもうけて大喜びという図式なのであ〜る。ランボ福岡の皆さんよ、ワシに感謝しなさい。
復讐はすんだ。
ただしだね、ましゃんは以前自分の経営する店で元シェイプアップ・ガールズの中島史恵のサイン会やって、しかも自分の社長室を楽屋代わりに貸したら目の前で中島史恵の生着替え&生下着姿を拝めたという、ベリー羨ましい&許せない過去を持つ男なのだ。かくなる上は、矢田亜希子のサイン会開いて、楽屋代わりの社長室にわしも招待しなさい。そしたら悪魔特別版にかけた秘技3年殺しを解除してやるが、いかがかの?


ましゃん主催の

中島史恵のサイン会の模様

心優しいわしは罪を憎んで人を憎まずなので、ましゃんのこれまでの悪事の数々には目をつぶってやる事にした。そして早速ましゃんのツテを利用して、当時日本国内唯一のランボ・ディーラーで、愛媛の宇和島に拠点を置いていたRPMに連絡つけてもらうと、探している白のカウンタック(アニバーサリー)が1台あり、エンジンから全てばらして新車同様にフル・レストアしてるとのこと。勿論、アフターのメンテや世話も責任持ってやってくれるという。同時期に何台か白のカウンタック(クワトロバルボーレをメイン)に当たっていた身にとって、これはとんでもなくいい話。しかもフル・レストア分の代金はタダ同然で、乗り出し価格もレストア分込みでお友達価格で、かなり格安にしてくれるとのこと。しかも事故歴無しの記録簿付きだそうな。カウンタックで記録簿付きというのは奇跡に等しい。これがあれば万一手放す時でも売却価格はそう落ちないハズ。手放さないけど。
こ、これはオイシイ。
しかも憧れぬいた白のカウンタック。
で、内装は?と聞くと黒だという。
黒かあ〜。黒は第3希望なんだよなあ。第1希望がマグノリアで、第2希望が白、で第3希望が黒なんだわさ。あ、内装赤はダメよ、ギラギラして運転してて酔いそうだから。
などと迷ってると、悪魔ましゃんのイケナイ一言が。
「お前風呂入らんけん、内装は黒でよか。シートが白かとすぐ汚れるけん、維持大変ぞ。」
おお〜っ、そうか。
俺が風呂に入らなくても綺麗なのは定説だが、白シートは汚れるので大変だという話はよく聞く。豊田さんも同じ事HP上で言っておった。でもカウンタックって色を選べるほどタマ数ないしな。ま〜、程度のいいのが出ればめっけもんで、みんな後は自分であちこち手直ししていくんだよな。スーパーカーって、極めて高性能かつ精巧かつ神経質かつ古典的かつ未完成の趣味のクルマだかんね。
でもって、黒い内装はひきしまってて男らしい。男らしい男に憧れる俺は、男らしくありつつも、気高く上品な白はゆずれない。んで外が白で中が黒だと、コントラストがいかにもカウンタックって感じでかっちょよくないか?
かっちょよすぎないか?
そうか、かっちょいい男にはかっちょいい車がよく似合うってことだな。
こ、これは一度見に行かねば!!

第5章 お見合い
そんな折、親父が白血病でいよいよ危ないと病院からの通達もあり、看病がてら6年ぶりに帰郷することに。無菌室で寝たきりになってる親父だったが、必死の看病のかいあって、なんと奇跡的に白血病が治っちまいやがった。親父の病状が一段落ついたのもあって、帰りは四国の霊場めぐりよろしく、わが未来の花嫁となるであろうカウンタックとのお見合いに出た。当時、メカ好きが災いしてましゃんの下でベンツのエンジン修理とかただ働きさせられてたカアイソウなタケが、俺の未来の花嫁見たさに、おとんのベンツ(右ハンドル)を借りて宇和島まで連れてってくれることになった。 タケの運転するベンツで大分高速を280キロでかっとばし、カーフェリーに乗って一路愛媛の宇和島にあるRPMへ。そこで待ってたのは懐かしくも新しい、ランボルギーニ・カウンタック25thアニバーサリーなる女神様。
RPMの100メートル手前ぐらいまで近づくと、少し小高い坂の上にある工場入り口に真っ白いカウンタック様がどで〜んと鎮座されてるお姿が見て取れた。下から見上げた姿だったのも手伝って、なんだか凄い存在感と威圧感で、とてつもない御神体に見えた。
アニバーサリーって、ディテールがそれまでのカウンタックらしさがなくなって、写真で見るといまいち好きになれなかったのね。でも実物を見ると、サイドスカートとかエアインテークの感じとか、なんかスマートで垢抜けててさ、直線的なカッコよさが全面に出てていいじゃん。しかもこのお方が俺の未来の花嫁かも。。。って思った瞬間、あばたもえくぼになっちまった。でもフロントバンパーはやっぱLP400Sからクワトロまでの角ばったのがいいなぁ。
初めてのお見合いの時の様子が下の写真。


ビビッときたね

でも左のウィンカーランプついてないし

奥のがタケのおとんのベンツ(右ハンドル)

見た瞬間にビビッときたね。そこにY岡(当時)なるランボ整備士がやってきて、ためしにエンジンかけていいと言うんで、かけたら一発スタートするやん。カウンタック・リバースしてもいいと言うんで、やったら、オレ、足が長いので、クラッチのつなぎチョ〜余裕で、しかも箱乗り状態で上半身が出てるもんだでよ、後方視界180度ばりによく見えるじゃん。ってなわけで、それを横で見てたY岡さんから「前にランボ乗ってましたぁ?大丈夫っすね。運転できますよ。」と合格証を頂き、晴れてオレも猛牛使いの仲間入りに一歩足を踏み入れたのさ。さすがに免許とって初めて買う車とは言えなかったわ。でもカウンタック特集の雑誌は全部読破したし、カウンタック走行会のビデオとかもいっぱい見てイメージトレーニングできてたせいか、不思議とカウンタックは乗りにくいとは思わなかった。むしろ何か懐かしささえ感じたね。とゆーわけで、免許とって最初に買った自分の車がカウンタックなのさ。最終的にカウンタックに行き着くって分かってるからさ、寄り道しないでストレートにゴールしたほうがいいじゃん。これって、初恋の相手と結婚するようなもんで、とってもス・テ・キなことぢゃない?普通のクルマ乗り慣れてからカウンタックに行くからかえって乗りにくいと思うだろうし、最初からカウンタックに乗ってたらそんなもんだと諦めて、かえって不便を感じないじゃん。乗って壊したら授業料と思えばいいし。金額によっては思えない場合もあるけど。。。
で、横を見るとタケがY岡さんにあれこれエンジンの専門的な質問とかしててさ、二人で盛り上がってやんの。寂しがり屋のわしは、他にする事もないので、同じ店内に飾ってあった黒のディアブロと赤のフェラーリF355と青のフェラーリ308をベタベタ触ってやったのだ、ザマーミロ。 そしたら翌年の4月にはタケがY岡さんに弟子入りする形で、Y岡さんの自宅に居候しながらランボの国内本社の整備工として就職しちまいやがった。その後、タケは外車雑誌に顔とインタビュー記事が載ったり、Y岡さんは山よりも高く海よりも深い訳あってその後H野と改名して、ランボ福岡の店長になってランボの国内ディーラーと店舗を精力的に増やしていったわけよ。


↑こいつがタケ

で、RPMはその後、ランボルギーニの正規国内ディーラーとして、福岡、江戸川、六本木、名古屋とお店を増やしていったわけさ。俺に関わった周りは、なんでかみ〜んな出世していくんだよな。ましゃんはその後、TRを売って360モデナに買い替え、更にはディアブロSEイオタを売って、な、な〜んとF50を買いやがるし。


↑ましゃんの360モデナとディアブロSEイオタ。


天草の牧歌的風景とF50

むむ〜、ソソられる後ろ姿じゃ

ましゃんとフェラーリF50

イケナイ車とイケナイ人たち

かくしてましゃんはF50と360モデナのフェラーリ2台体制で、月々のローンに苦しむ、筋金入りのアホの殿堂入りを果たしたのである。
タケよ、これからもカウンタックの修理代とかは、お友達価格で今以上に安くしてくだしゃい。
なるべくタダがいいな。

第6章 結婚
「今どきこんな車に乗っとれば、人からバカとかキチ●イとか言われるぞ!!」 … (一番上の姉)
「お前はそれだけの苦労したからよかよか、買え買え。」 … (二番目の姉)
「オレも女子供がおらんば、この手の車ば買うばってん。。。」 … (兄貴)
「スゲェー、スゲェー。」 … (一般観衆(30〜40代♂))
「カッケェ〜!!」 … (一般観衆(10〜20代♂))
「これ、フェラーリっしょ。」 … (最近の若者一般)
「ママ〜、変な車がいるよ〜。」 … (最近の園児(♀))
「おじさん、何してる人なんスか?」 … (最近の某私立大学(某ICU)生(20代♂))
「センセは浮世離れしすぎですぅ。」 … (最近の某国立大学(某東工大)生(20代♀))

賞賛と怒号の中始まった女神様との新婚生活。 カウンタックを手に入れてからは、信じられない気持ちが半分とうれしさ半分で、3日に1回は乗ってた。でも最初の運転はやっぱ緊張したね。宇和島ではクラッチミートを確かめたくらいで、工場内をちょこっと移動しただけだったから当然っちゃあ当然なんだけど、そん時と違って、初めて市街地を走る緊張感とカウンタックという名前に飲まれて、クラッチのつなぎうまくできずに、何度エンストおこしそうになったことか。
あれ?宇和島で乗った時よりも、視界が狭く感じるぅ。
クラッチ重い。
ハンドルも重ステでうまく切れん。
ギヤかてぇ〜。
ってなわけで始めての走行は惨めの一言であった。
いよいよ猛牛がその獰猛さの牙をむいた。みんなの恐れてる事がこの時になって始めて分かった。
やっぱ普通じゃないわ、このクルマ。
こんな感じで初運転で猛牛の洗礼を受けたものの、不思議と2回目からは鼻歌混じりで普通に乗れるようになったのね。慣れれば楽じゃん。最初こそ猛牛が牙を向いたが、今じゃ従順な天女の如き素直さで、オレの言う事を聞いてくれる。そればかりか「ご主人様ぁ〜、あごの下ちょびっとこすっちゃったぁ。イタァ〜イ。」などとオレを必要としてくださってる。オレはついに女神様を自分の女にしたのだ。女神様がオレの助けを必要としてくださってる。なんてぇ甘美な陶酔地獄なのかしら。。。
でも、学会出張や博士論文の完成&提出締め切りやその他の学会発表&論文の締め切りに追われ、ぜ〜んぜん乗れない日々がやってきた。
ああ、スーパーモデルとのすれ違い新婚生活。。。
しかも、最初の頃は下宿アパートのワシの部屋の真ん前にある青空駐車場にカバーかけて止めてたんだけど、そこが出し入れの切り返しが狭くてきついのなんのって。。。おかげでクラッチやばくなるわ、強風の日にゃあ向かいのマンションのベランダから女神様をかすめて鉢植えが落ちてくるわ、ダメだこりゃあの日々。不思議とイタズラだけはなかったけど、そうこうするうちマイナートラブルに見舞われ、電気系統がからきし弱くて、ヘッドライトが左右交互に出たり閉まったりを繰り返しで止まらなくなるわ、片方だけ上がらなくなるわ、ハザード点灯しないわ、ドアロック壊れるわ、ダッシュボード下から意味不明のネジが落っこちてくるわ、そらもう笑えるようなレベルのトラブルばっかり。そしたらCDI死んじゃったり(がび〜ん)と、一旦は自分の女になったと思ったものの、女神様はなかなか心を開いてくんないのさ。美人なのにつれないのね。も〜。
そうこうするうち車検もあるのでそれと修理も兼ねて、アニバをランボルギーニ福岡の工場に持ってってもらい、その後は同社のショールームに飾っててもらった。


ランボルギーニ福岡本社。

思ったより敷居は低い(かも)

お馴染みランボの猛牛マーク。

ランボ福岡に飾ってあるワシの女神様。

ムルシーと仲良し

カウンタック・リバースの勘をつかんでるワシ。

で、いよいよ博士論文が佳境に入り、ますます車どころじゃなくなってくわけよ。そうこうしてたらランボ福岡に置いとくのもイッパイイッパイになって、Y岡さんの個人的努力で、新しい駐車場が見つかるまでの約3ヶ月間、ランボルギーニ江戸川のショールームに飾っててもらった。



ランボ江戸川のショールーム。

ランボ江戸川に飾ってあるワシの女神様

ショールームの内側。白い悪魔と仲良し。

2004年2月吉日、

新しい駐車場に向け、

ランボ江戸川の格納庫から出陣!

その後は博士論文も無事審査を通過し、めでたく合格となったわけさ。で、いよいよワシのアニバをランボ江戸川に置いとくのもまずくなって、本腰入れて新しい駐車場探しの日々とあいなりました。というのもさ、2004年3月の博士号授与式には、苦楽を共にしたこの女神様で乗り付けてブイブイ言わせてやる計画だったからね。
でもわしのようなパンピーは駐車場一つ探すのにも、そらもう苦労の連続で、車名を告げただけでビビられたり嫌がられたりして、行く先々で断られっぱなし。。。挙句には、不動産屋のオバちゃんも逆ギレして、「博士さんならガレージ付きの一軒家、買ってくださいよ〜。」などと泣きつかれる始末。 「製本やらなんやらで金でてくばっかりなんじゃ、ボケ〜。」と心で叫んで、「そのうちね」と微笑むケナゲなわし。大体どこもこんな感じ。おぉ、オレは今まさにカウンタックの、カウンタックによる、カウンタックのための苦労をしているのだわ。 なんてェステキなんざましょ。
てなわけで、20件の不動産屋を当たって、60件近い物件を見て回り、半分やけで入った最後の1件でようやく決まったのが以下の写真の駐車室。まさに捨てる神あれば拾う神ありじゃ。
ここにジャバラ・ガレージ突っ込めば、家屋とジャバラとボディ・カバーの三重構造で女神様を守れる。
ランボルギーニって車、人を狂わすのが得意なようで、この車を維持するために頑張って一軒家買ったりガレージ造ったりという猛者の伝説は腐るほどある。でも、今の私にはこれがガレージなんです。苦労は、いつかきっと花を咲かすはず。。。シャッター付きのガレージ欲しい〜!!

車室の中に怪しげなジャバラ・ガレージ。

中には巣で寝ているクワガタみたいな姿が。

いけないチラリズム。

ボディー・カバーめくりっ。

ジャバラ全開。

巣の中の様子。

接写その1。

接写その2。

密室の中の魅惑的な世界。

慣れちゃうとカウンタックって意外と小さくて表情もムニッとしててかわいいのねん。
で自分にとってはガレージのこの中で、いそいそと女神様のお体を綺麗に拭いてると、中は結構熱くて汗だくになっちまう。で、ガバチョと正面の幌を上げて、山篭りから降りてきたマス大山(図1参照)みたいに汗を拭き拭き外に出ると、ちょうど前を通りかかっていた小汚いバカップルが、『ロリィの青春』のクレオとロリイよろしく(図2参照)、女はきゃっと驚いて相手の男によよと寄り添い、男は男でオレが守ってやるから大丈夫!みたいな感じで、実にラブラブになってその場から急ぎ足で立ち去るのであります。
図1

(『空手バカ一代』第1巻、p.134.)
   図2
   
   (『ロリィの青春』第3巻、p.116.)

そのラブラブぶりは誰のおかげかの?ラブラブになって、そんなに急いで帰って何をするのかしら?オレサマは福の神であ〜る。女神様に仕えてる内に、私自身も福の神となってしまったかのう。フッフッフ。
このように、女神様のご利益でワシは日本の出生率低下にも歯止めをかけているので、ワシの自動車税はタダにしなさい、日本の政治屋さんたちよぉ。
その後、ワシは女神様のあまりにカアイソウな境遇を見るに耐えかね、断腸の思いで引越しをし、女神様の寝床もワシの新居の真向かいにあるご覧のようなマンション半地下占有スペースに移ったのさ。









ここ、入り口がスロープになってるため、入り口の高さが1m45cmで普通の車じゃ天井こすって入らない変な構造なんだけど、中は天井までの高さが2m15cmとまさにカウンタックのためにあるような駐車場でして、しかも前と横あわせて車4台分のスペースがある。それでいて1ヶ月の駐車代は以前の駐車場代に+6000円しか違わないという、ベリーナイスなお得物件だったりする。で、誰にも邪魔されずにここでカウンタックを眺めるのが至福のひとときだったりする。前や横の空いたスペースで上段回し蹴りの稽古もできちゃう。

第7章 悟り
カウンタックは女神である。
カウンタックであればすべて善し。
カウンタックこそは、この世のあらゆる美の化身である。
大乗フェラーリ教開祖、MJブロンディこと清水草一様の有名なお言葉に、「フェラーリであればすべて善し」というのがある。ちょっと待て、それは違う!!正しくは、カウンタックであればすべて善し、だ。
ところでオレ、ホントはフェラーリも好きなの。だって、フェラーリあってのランボルギーニだもん。この世にカウンタックがなかったら、間違いなくテスタロッサか512TR買ってたもん、オレ。
でもね、カウンタックってさ、フェラーリじゃ逆立ちしても勝てない魅力があんのよ。
カウンタックって、乗るたびに新鮮な感動があんのね。周囲の人間が「スゲェー」と心から賞賛を浴びせ、笑顔の環ができる。こんな感動、フェラーリじゃ決して味わえまいて。
幸運で手にしたアブク銭で買う車、それがフェラーリ。真の男が我慢と辛抱を重ね、人生の一部と引き換えに買う孤高の車、それがランボルギーニ。言い換えればフェラーリは金持ちの車、ランボルギーニは夢の車、この違いさ。どっちが強烈にDNAにビビッと来るか、分かるでしょ。
だからフェラーリは気軽に新しいモデルに買い換えたり手放すことができても、ランボルギーニはそれができない。できれば棺桶代わりに車ごと地中に埋めて、あの世まで持って行きたい車。それがカウンタック。
それだけに強い信念と覚悟と代償が必要な車。
カウンタックと同じ時代に生まれ、同じ時間を生きる事ができることの奇跡と幸福を甘受せずして、男の生き様を語るなかれ。
閑話休題。
ここでしばし乗車体験をば一つ。
キーをまわしてイグニッションをONにしても、日本車のように一発始動はしない。長めのクランキングを繰り返していると、面倒くさそうに12気筒エンジンが目を覚まし始める。 その模様はこんな感じ。
きゅる〜る〜る〜る〜る〜る〜ずるん!
きゅる〜る〜る〜る〜る〜る〜ずるるるん!!
きゅる〜る〜る〜る〜ずるるるるるん!!!(ここでアクセルを2000回転ほどあおってやる)
ずるるん、ずるるん、ずるるる…ギュワォォォオオオオオオ〜ン
と、猛牛が雄叫びを上げる。
あとはギュワォ〜ン、ギュワォ〜ンと3000〜4000回転くらいまで吹かしてれば、サイドのエアインテークからのシュ〜ッという吸気音と供に、
ダフダフダフダフダフダフダフ
とアイドリング状態になり、一気に戦闘モードに突入じゃい!
これがランボルギーニのV12サウンド。なんてェ上品で、気高くて、ワイルドで、官能的なのかしら。
何度聴いても、この音を聴くたびに、自分の中で男のボルテージが上がっていくのを感じる。音、スタイリング、歴史、全てが自分の中のダンディズムとぴったり波長の合う車。それがカウンタック。
真の漢(おとこ)なら分かるはず。
眺めてよし、聴いてよし、乗ってよし、走ってよし。
カウンタックの悲しい生い立ちと美しすぎるが故に被る不幸が自分の人生とオーバーラップして、そこに男のダンディズムが生まれるのだ。
だからカウンタックはこんなにも気高くて美しくてかっこいいのだ。
でもね、クラッチ、ギヤ、ハンドル、み〜んなすっげ〜重くて硬くて、カウンタックを自由自在に操るのって、実は結構な重労働なのよ。 カウンタックはどこまでも男のクルマ。押忍の精神で、額に汗してひたすら仕えるのみ。 白鳥は水面下では必死に水をこいでても水上では優雅に見える。カウンタックの運転も同じ。こんなとこで極真の精神が役立つとは思わなんだ。。。押忍!!
カウンタックだよ人生は。(byボンジョルノ西川)
男は黙ってランボルギーニ。

第8章 エピローグ
ランボルギーニは凄い!
全てが凄い!!
ただただ凄い!!!
車の運転というだけで、こんなにも高揚感と緊張感と充実感が味わえるなんて。他のどんな車でもこんな感覚は決して味わえない。それだけは断言できる。男なら一生に一度は乗ってから棺桶に入りたい。それがランボルギーニであり、カウンタックだ。
ところでワシの女神様を上から見るとこんな感じ。なんだかプラモのおもちゃみたい。


ウ〜ム…

ピカピカじゃ

どっから撮っても絵になるのう

たまの休みにジャバラ全開で女神様のお体を拭き拭きしてると、通行人がメンタマひんむいて「すげぇ〜、すげぇ〜」と連発して女神様のお姿を拝んでいく。で、「これ何キロ出るんですか?」とか「いくらするクルマなの?」とか聞かれて、ちょっとしたお友達の環ができたりして、こんな時が至福のひとときだったりもする。でもある時、白髪頭のよぼよぼのおぢいちゃんがじ〜っと女神様を眺めてたかと思うと、「これ、ホントにいいクルマだねぇ。まさに宝物だね。お兄さん、若いのによく頑張ったねぇ。」と声をかけてくだしゃいました。その瞬間である、心の何かがスコーンと抜けて、涙があふれた。そうだ、オレは頑張ったんだ。いや、頑張ったなんてもんじゃない。死に物狂いでどん底からはいあがったんだ。その結晶がこのクルマだ。あ〜、思えばワシは20年以上もこのクルマを思い続けてたんだのう。思えば遠くへ来たもんだ。
たかがクルマ。されどクルマ。でもなぜかこのクルマに乗る時は、不思議と幸運が舞い込んでくる。親父の病気が治ったり(親父はその後、2005年3月に天命を全うしましたが)、論文が立て続けに採用されたり、ワシの就職が決まったり。さすが女神様じゃのう。今にして思えば、6年ぶりに故郷へ帰れたのも、この女神様のお導きだったのかも。
もちろん、博士号授与式には女神様で乗りつけて大暴れしてやったさ。ホ〜ッホッホ。
「見せつけてやるぜ、ユーとミーの格の違いをな〜、フッホホホ!」(隼人ピーターソン風に)



指導教授と一緒に

筑波大教授の城生伯太郎氏(左)と教え子の院生と(右)

カウンタックと教え子たち

その後は、ランボ江戸川のご好意で、ムルシェラゴ、ガヤルドを使ったサーキット走行兼新車試乗会にお呼ばれしたり、色んなツーリングに参加したり、お勤め先の大学に普段の足として乗って行ったり、女神様との蜜月が続いてるわけさ。(以下の写真参照)

筑波サーキット走行兼新車試乗会

ムルシェラゴでサーキット走行

法定速度で走ってます

ドヒュ〜ン

無事ご帰還

ガヤルドでサーキット走行

法定速度で走ってます

クゥォ〜ン

無事ご帰還





大黒PAツーリング

大黒PAにてお仲間と その1

大黒PAにてお仲間と その2

早大大隈講堂とランボルギーニ

カウンタック集会at魔方陣スーパーカーミュージアム




カウンタック集会の行き帰りの高速SAにて




大型バスの観光客も大騒ぎ

黄色のカウンタックもよいなぁ

服の色が車の色とオソロ

ランボルギーニ江戸川主催河口湖ツーリング







都筑会




秋の交通安全運動 スーパーカー銀座パレード

築地警察主催の秋の交通安全運動の一環で

関東一円から400台以上(推定)のランボやフェラーリが集まって

銀座を埋め尽くしました。圧巻

運転席の中から見ると

前には

凄い光景が

第3回全国カウンタック・ミーティングat小淵沢







クルマ友達のお宅訪問

クルマ友達のお宅に遊びに行きました

友達の親類も集まりカウンタック鑑賞

お友達の姪っ子。チョ〜かあい〜

カウンタックと日常

ややっ、あれは…

スタンドのあんちゃんは大喜び その1

スタンドのあんちゃんは大喜び その2

日常の中の非日常

どこにいても

浮いてるかも…

ディーラーでのフリーチェック

ランボ江戸川でのフリーチェックの際に

広報車のムルシー、ガヤルドと

仲良くたたずんでます

通勤風景

お勤め先の某国立大学にて

学生やら教職員の

人だかりができてチョット恥ずい

街ゆくみんなの羨望と嫉妬と感嘆と嘲笑の視線を全身に浴びながら、今日もカウンタックはゆくのであ〜る。
わが半生に悔いなし!!(未だに独身なので、ちょびっとあるかも)


ここまで読んで(見て)くれた人、ありがとう。そしてお疲れ様。m(_ _)m